これまでのアートレポート

アートレポート- Art Report -

勅使河原純の『とっても気になるあの展覧会へ「行ってきました」』

2013/1/29 update

「エル・グレコ展」

東京都美術館 2013年1月19日(土)~2013年4月7日(日)

オーギュスト・ロダン「バルザック」

以前から不思議に思っていたエル・グレコ(1541~1614)の、うねるように
引き延ばされた造形。日本では25年振りといわれる回顧展(都美術館)を
みて、改めてその天衣無縫な渦巻き式イリュージョンに烈しく打たれた。
たとえば「無原罪のお宿り」の下部に描かれたひとりの天使(写真部分)。
翼はほとんど厚みがないにもかかわらず、ひどく大きい。実際鷹のシャープ
な初列風切羽を思わせもする。翼はその先端を上に高く掲げ、いまにも羽音
を立てて下へ打ち下ろされようとしている。なるほどこれなら、描かれた
長身の少年が空に舞い上がることもできそうだ。
(他の画家たちのように、中空の階段を重苦しく登る必要はない)。
何が何でも天空へ上がろうとする意志。誰も彼もがつま先立ってしっかりと
ジャンプしている。辺りの気流は、その上昇曲線を暗示するかのように
下へと吹き放たれる。穢れなき世界への憧れはみていて痛々しいばかりだ。
だが同じバロック絵画とはいえ、この絵はカラヴッジョ(1571~1610)の
ように筋金入りのリアリズムで描かれてはいない。翼の付け根は曖昧で、
天使の身体はどう捻られているのか想像もつかない。空を見上げる天使の
鼻は、まるでピノキオのように伸びていく。そうだ。ここまで天上に昇ろうと
する意志、すなわちトレドが天国ともっとも至近にある地上の街だという証明
への渇望は、もはやエル・グレコ一人が背負うべき課題ではないだろう。
絵の発注者、教会、王侯貴族たちすべてが一体となって、いわば16~17
世紀のスペイン社会そのものが、異邦の画家エル・グレコに烈しく「描け」と
迫った欲求だったように思われる。
宗教という美しい衣をまとった、それだけに生々しい現世の欲求として。
画像:「無原罪のお宿り」の下部、
    サン・ニコラス教区聖堂、トレド、スペイン/1590-1595年頃




勅使河原 純

東北大学美学西洋美術史学科卒業。世田谷美術館に入り、学芸業務のかたわら美術評論活動をスタート。学芸部長、副館長を経て2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所 JT-ART-OFFICE を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。熟年世代の生活をアートで活気づけるプログラムにも力を入れている。さらにジャーナリズム、ミュージアム、ギャラリー、行政と連携し「プロ作家になりたい人」、「美術評論家として自立したい人」のためのネットワーク・システムづくりを研究・実践している。

公式サイト
http://www.jt-art-office.com/