これまでのアートレポート

アートレポート- Art Report -

勅使河原純の『とっても気になるあの展覧会へ「行ってきました」』

2015/07/30 update

蔡國強展:帰去来

横浜美術館 2015年 7月11日(土)~ 10月18日(日)

蔡國強展:帰去来

 

1986年12月、蔡國強は唐突に日本へやってきた。火薬を使って現代
アートを制作する「30を少しばかり超えた、ちょっと風変わりな
青年」というふれこみだった。いわゆるインスタレーションアート
のこれからに興味津々だった美術界は、こぞって彼を歓迎した。
そのあまりに読み易い野心が「アジアだってここまでやるのだ。
アジアだからここまでやらなきゃあダメだ」的な思いに火をつけた
とは、いえなくもないだろう。
思いは単純でいい。そのかわり、やりたいことだけはトコトンやる。
衆人環視のなかで作品は何度か黒焦げになり、とうとう燃え尽きて
しまったものもあった。だが彼はめげない。そして五体満足だ。
博打じゃないが、やり過ぎはいけない。不用意にやり過ぎれば
命がない。火薬を素手でこねまわすなど、はじめから誰にも真似の
できない行為だった。つまり彼はその時点ですでに爆発(火薬)の
プロであったし、世界中にたった一人のライバルも存在しない唯我
独尊の人だったのだ。
この中国人はなぜ危険を顧みず、ここまでやるのか。現代アートを
「取り澄ました輩の暇つぶし」程度に考えていた人たちは、さかんに
訝しがった。そんなノホホンとした日本だったからこそ、彼は切羽
詰まったアートを携えてやってきたのだろう。
とにかく「宇宙からながめたアジア文化」を説いた。古代から現代
まで中国文明に登場してきた人物、思想、風水、遺構。そうしたもの
すべてがテーマだ。それ以外に表明すべきものなど何もないといわん
ばかりの態度だった。いまから思うと、苛烈なまでのアート的中華
主義。漢字と箸と風水でつながった東北アジアじゃないか。
そのうちあなたにもきっと分かるさと、人懐っこい眼が笑いかけて
くる。それに対して一言もない私。素直に頷きながら、即座に共鳴
できた人がいく人いたろうか。
それにしても美術アートからみて英雄とは何か。ヒーローになるとは
一体どういうことなのか。それを始めからしまいまで、全部みせて
くれた作家はそうはいない。だからわれわれにとって中国文明の
申し子・蔡國強は、ずっとかけがえのないパートナーだったのだ。
さらなる交流を望む人々を残して1995年、彼はニューヨークへと
旅立つ。以来20年。代表作『壁撞き』(2006年、写真)のまえで、
「人間と人間のあいだには、目にはみえないが決して越えられない
壁がある」と淡々と語る蔡國強。
おやっ、と思った。アートの中華主義は、アメリカの地でいかなる
変貌を遂げたというのだろう。その『壁撞き』を引っ提げ、彼は
今回ふるさと横浜へと凱旋する。陶淵明の「歸去來兮/かへりなん
いざ」に、いまの静まり返った57の心境を託して。
そうだ、蔡國強はやっぱりわれわれの英雄だったのだ。
(横浜美術館、~H27年10月18日) 

【画像】『壁撞き』(2006年、写真)



勅使河原 純

東北大学美学西洋美術史学科卒業。世田谷美術館に入り、学芸業務のかたわら美術評論活動をスタート。学芸部長、副館長を経て2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所 JT-ART-OFFICE を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。熟年世代の生活をアートで活気づけるプログラムにも力を入れている。さらにジャーナリズム、ミュージアム、ギャラリー、行政と連携し「プロ作家になりたい人」、「美術評論家として自立したい人」のためのネットワーク・システムづくりを研究・実践している。

公式サイト
http://www.jt-art-office.com/